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今年で学生ブランドなくなります。カナダにいるけどあまりカナダの話はしません

【子供目線で語る】プレッシャーに強い子供ができるまで

期待やプレッシャーに押しつぶされる、とはよく聞く言い回しだが

私はそういう風に感じたことがない。

耐性があるのではない

自分への期待やプレッシャーの存在は認識しているが、自分への圧としては変換されていないのだ。

 

環境や境遇という視点から見ると、人並みに期待やプレッシャーがかかってもおかしくない学生だったと思う。

小学生の頃から、そこそこ優等生なポジションにいることが多かった。

テストは大抵上位、運動も得意、学級委員や生徒会長もよく務めた。

結構やんちゃもして先生に怒られることも多かったが、なんだかんだいい関係を築けてきたように思う。

 

実際に聞かれることもあった。

「プレッシャーを感じないか?」

「王道以外を選択することが怖くないか?」

 

 

高校生の頃から、なんとなく不思議だった

どうしてみんなあんなにプレッシャーを感じやすいんだろう?

どうして誰かからの期待にそんな忠実であろうとするんだろう?

自分は鈍感なのか?

嫌味でも傲りでもなく、冒頭の通り「感じたことがない」私にとっては純粋な疑問だった。

 

 

そして最近、この疑問になんとなく答えを見つけた。

ふたつある。

 

一つはとても単純で、私がほぼ学生という身分しか経験したことないから。

社会に出るということは、社会人になるということは、

聞くところによるととてもとても大変なんでしょう

生活費の根源であるアルバイトは無論おざなりにはできないが、

世の大人たちが仕事や社会生活で感じているほどの圧を、多分私は感じたことない。

 

つまり、自分が鈍感なだけで、もっと強いプレッシャーをかけられれば人並みに疲弊してしまう。かもしれない。というのが一つ目の理由というか仮説

 

まあこの一つ目の理由はあまり的を得た回答でもないけれど

 

 

大事なのはふたつめで、親に恵まれたから。

 

「さすがだね」「できるよね」「〇〇はどうせできるもんね」「〇〇はすごいから」「どうして分からないの」「何故できないの」

私の両親は、こういう言葉を激励の意味で使わない。

友人、先生、部活の顧問、色々な人に言われてきたが、両親の口からは一度も聞いたことがない。

 

思い返してみれば、両親は私たち兄弟に対して、

何かをやらせたり結果を求めたりしたことがないのだ。

100点や1位のような目に見える結果を出した時は、もちろん褒めてくれた。

でも、結果を出しても出さなくても、頑張った過程があったならそこに注力して褒めてくれた。

「1番になれたことが偉い」より、

「1番になれるように/なれるくらい頑張ったことが偉い」。

 

加えて、両親は私たちに必ず失望したりがっかりしたりした様子を見せない。

友人のおもちゃを盗んだ時、校則を破って居残りさせられた時、驚くほど悪い成績をとった時

もちろん叱られたことは幾度もあるし、締め出されたことやご飯を抜かれたこともあるが、

親に失望された/諦められた、と感じたことがない。

今思い出すと、これはこうと決めつけずに、一緒に悩んで一緒に成長しようとしてくれていた印象が強い。

 

 

私は長女、両親にとって初めての子供ということで特に、

こういう風になってほしい、あれをさせたい、という気持ちもたくさんたくさんあったでしょう。

それに背いたり、思わぬことをし始めて、苦労したりがっかりしたこともたくさんたくさんあったでしょう。

けれども自分たちの希望や気持ちを押し付けず、失望や苦労を見せることなく、

ずっと信じ続けて見守り続けてくれている。

 

 

良い子の自分も悪い子の自分も、同様に受け止めてくれる人たち。

良い子の自分も悪い子の自分も、同様に帰る場所があること。

 

 

これが、私を強くしていい意味で怖いもの無しにしてくれているのだと思う。

信頼し尊敬する人たちが、どんな自分も受け止めてくれるのであれば、

他人の期待やプレッシャーにちょっとやそっとじゃ押しつぶされるわけないですよね

 

 

むしろ、勝手に期待して買いかぶっておいてくれるならラッキーです

その人の中では、私の価値が実際よりも高く見積もられているんだから。

特に、私は初対面では「いい子」という印象を与えがちらしい。

おかげで、就活での面接という新しい特技を先日会得した。

 

それから、他人からの期待は程よくモチベーションに変換することもできる。

例えば、

長身+ショートヘア+生徒会長により、新入生にかっこいい先輩だと思われる

→かっこいい先輩であり続けるために、成績の維持とバレー部の自主練をこそこそする

遠目で気になっていた男子に「にきびないし肌綺麗だよな」と言われる

→意地でも肌を綺麗に保とうと意識する、夜のチョコやポテチをやめる

など。どちらも経験談、、

 

ポイントは、自分にとって大きな存在(私の場合は両親)が「かっこいい先輩であること」や「綺麗な肌」に微塵も執着していなかったから、

「みんなが私にこうあることを望んでいる」「こういう自分でなければならない」という思考を持たずに済んだことだ。

だから自分を縛りつけることなく、程よいモチベーションとして利用することができた。

 

私のことを知っていくにつれて勝手にがっかりされることもあるでしょうけれども、

「優等生」「優秀」の像を派手に崩すことは結構楽しい。

「〇〇は王道いくと思ったよ〜」って期待を裏切ることも楽しい。

「え?私ってこんなだよ」ってへらへらしている時って、なんとなく胸がスッとする

 

 

来年からは、学生ではなく社会人になる

プレッシャーや期待を圧として感じないこの性格はもう変わらないでしょう、

首を切られない程度に、面接で撒いた「優等生」のステレオタイプも周囲の期待も、破り裏切り続けていく所存です